転職活動全般

スマートキャンプ取締役CFO峰島氏インタビュー(前編):「ゴールドマンサックスでは一つのミスも許されない」

外資系投資銀行に新卒で入社し、ベンチャーキャピタルに転職して、将来は起業やCFOになりたいとぼんやり思い浮かべる人も少なくないだろう。

今回は、ゴールドマン・サックス証券、VC(ベンチャーキャピタル)、ベンチャー企業でCFOというキャリアを歩んだスマートキャンプ取締役CFOの峰島侑也氏に取材を実施した。

GSと自分のキャラクターがマッチした

-経歴を教えてください。

東京大学を卒業後、ゴールドマン・サックス証券の投資銀行部門に入社しました。転職して、ベンチャーキャピタルであるグリーベンチャーズ(現STRIVE)に入社しました。

グリーベンチャーズの投資先であったスマートキャンプに完全に転籍して、現在はスマートキャンプで取締役CFOを務めています。

-まず初めに、ファーストキャリアとしてゴールドマン・サックスを選んだ理由を教えて頂けますでしょうか。

正直、外資系投資銀行にどうしても行きたいというわけではありませんでしたし、私の性格としても一般的に投資銀行に多い自信に満ち溢れたタイプというより、どちらかといえば謙虚なタイプの学生でした。就職活動時は、「私が会社を選ぶなんてとんでもない」と考え、会社に選んでいただく立場であると思っていました(笑)

ただし、漠然とではありますが、グローバルな環境で働きたいというのと、将来的に個人として通用するプロフェッショナルな人材になりたいという2軸を企業選びの軸として持っていました。

この2軸を持つようになったきっかけの1つとして、東大とハーバード大学の交換留学プログラムのHCAP(エイチキャップ)という1年間のプログラムに参加していたことが影響しています。

少人数の団体でしたが、先輩にGS(ゴールドマン・サックス)やマッキンゼーに入社された方も多くて、そこで外資系企業について知る機会がありました。

HCAPでは、ハーバード大学以外にもアジアの名立たる大学の学生が来て議論をするのですが、世界中のトップクラスの学生に対してアウトパフォームできる人間でありたいなという考えを持つようになりました。

正直、就活を始めたときは業界はどこがいいとかは考えていなくて、別に金融じゃなくてもメーカーでもコンサルでも良かったです。

-投資銀行に絞ったのはどうしてでしょうか。

実は、コンサルやGS以外の外銀を受けに行ったときに、直感的に自分に合わない感覚がありました。

「今まで世の中のメインストリームを生きてきました」みたいな人が多かったんですよね。そういう中で、私も肩書きだけ見ると東大の学生なのでメインストリームに見えるかもしれませんが、大学入学前には浪人してますし、在学中はビリヤードに明け暮れて大学なんてほとんど行っていないですし。

東大生のメインストリームからは、「ビリヤードばかりやってるダメなやつ」だと思われていたので(笑)自己認識としては外資系にいくようなメインストリームではなくむしろアウトローな存在だと思っていました。

実際、投資銀行より先に選考の始まるコンサル業界で面接を受けると、噛み合っていないと感じることが多々ありました。

そうした感情を抱いていた中で、GSだけは違いました。

IBD(投資銀行部門)を受けたのですが、自分と似たような人がとても多い会社だなと思いました。他社に多いイケイケだぜという雰囲気の社員より、影の存在としてお客さんのために働く職人として働いている方が多い印象を受けました。

「自分が自分が」と主張するのではなく、純粋にクライアントのためになることに誠実に取り組んでいる社員が多く、面接を通して、この会社にいる人と自分のキャラクターが非常に近いなという印象を持ちました。

GSは元々志望度が高くなかったのですが、そういった理由から、選考を進めるうちに志望度が上がっていきました。

-GSの具体的にどういったところが具体的にフィットしましたか。

面接のときに将来どうなりたいか聞かれるじゃないですか。私は、いつも「かっこいいお父さんになりたいです」と答えていたんですよね。そうした回答をすると、いつも相手が「は?」といった感じになって、「そういうことを聞きたいんじゃなくて、将来は起業したいとかそういうのないの?」と苦笑いされていました。

ただ、GSだけは違っていて、一次面接で将来何になりたいのと聞かれて、「かっこいいお父さんです」といったら、「それだよな!!わかってるじゃんお前!」という雰囲気になったので、この会社いい会社だなと思って、自分に合う会社はGSかもと考えはじめました(笑)

私が言うのもおこがましいのですが、GSは単に賢い集団というよりかは、何か事(コト)を成すことに重きを置いていて、考えて口出しするだけではなく、思ったことをやり遂げなかったら何も意味がないという雰囲気がありました。

頭でっかちな集団ではない、というのがすごく私にフィットしていたように思います。

セカンドキャリアを考え、IBDを選択

−外銀のなかでもIBD(投資銀行部門)を選んだのはどうしてでしょうか。

IBDを選んだのは、他の職種と比べるとその後のキャリアがかなり幅広いというのを感じていたからです。

IBDを辞めた後の進路を自分なりに調べたところ、例えばPEファンドやヘッジファンドだけではなく、アセマネ(アセットマネジメント)に転職する人もいれば、事業会社でM&A担当になったり、私のようにCFOを務めたりする人もいて、様々なセカンドキャリアがあるという印象を受けました。

私にとって、金融業界に限らないセカンドキャリアが描きやすいというのは非常に魅力的でした。

そもそも金融業界に入りたいということではなく、グローバルで活躍出来るビジネスパーソンになりたいという気持ちで投資銀行業界を志望していたこともあって、幅広くセカンドキャリアのチャンスを残しておきたいと思った結果、投資銀行業界の中でもIBDがいいだろうなと思いました。

タフさが評価され(?)内定を獲得

-GSはあっさり内定できたのでしょうか。

全然違いましたよ。冒頭で申し上げましたが、私は誰が見ても優秀だよねというキャラではなかったので、結構面白がって採用してもらったところがありました。そのため、私は全然インタビューでよくあるようなキラキラしたタイプではないですよ(笑) 。

それでも内定できたのは、比較的タフだという点が評価されたのかなと思っています。

スーパーデイという1日かけて面接を繰り返す選考が多くの外資系投資銀行ではあります。1日中面接を受けるので、みんな疲れてしまうらしいのですが、私は全然元気だったんですよね。休憩時間に面接をサポートしていた社員が様子を見に来た時に、『金閣寺』という本を読んでいました。

ちょうどその時期、三島由紀夫にはまってたんです。みんなが休憩している中で本を読んでいたので、「峰島は本を読んでいて全然余裕そうだ」ということを面接官に伝えてもらったこともあり、タフさが評価されたのだと思います。

面白人材として採用された側面もあって、「お前は当たるも八卦当たらぬも八卦の賭博人材だ」と言われて入社しました。

将来を期待されるエリート人材というよりは、当たったら面白いし、ハズレもあり得るなという感じで採られたんじゃないかなと今でも思っています。

-面接に当たって金融の知識などのインプットはある程度していかれましたか?

最初は全く金融の知識がありませんでした。一番初めに「かっこいいお父さんになりたい」って言って共感してくれた面接官の人にも、金融に関することをいくつか聞かれたのですが、全然分かりませんでした。

当然、「お前全然勉強してないじゃん、次の面接までに勉強しとけよ」と言われたのですが、次の面接には通していただけました。

最初の面接でいい会社だと思ったので、面接対策のために、金融の基礎知識からインプットを始めて、なんとなくですがこういう業界なんだなといったことが理解できました。応募段階ではよく知らなかったIBDのことも改めて良さそうだと再確認しました。

金融の知識がない中、最初に面接を通過できたのは、ペーパーテストの点数が高かったのと、面接で聞かれた計算問題をスラスラ答えられたからだと思います。

ただ、面接中は気づかなかったのですが、面接が終わってから自分が答えた計算を振り返ったら、10の桁が1つずれていて実は間違っていました。しかし面接官も「うん、完璧だね!」と言って気づいていなかったので運がよかったです(笑)

応募段階では知識や対策が十分だったわけではなく、徐々に知識をつけていった感じでした。

-GSが内定一発目だったのでしょうか。

内定一発目ですね。ほかの会社はかっこいいお父さんになりたいと言ったせいもあって落ちました(笑)

私を雇ってくれる会社があるのならそこで働きたいという学生だったので、内定を出していただいたGSで働こうという流れでした。

-面接ではかっこいいお父さんになりたい以外では具体的にどういう話をしていたのですか。

学生時代の経験は所属していたビリヤードサークルがメインだったので、面接ではビリヤードの話ばかりしていました。GSの面接ではほぼ毎回ビリヤードの話を面接の9割程度の時間にわたって話し、残りの1割で志望動機などを話していました。

厳しい環境にプレッシャーを感じながら仕事に没頭

-GSに入ってからやった仕事を一通り教えて頂きたいです。

私はTMT所属でした。配属が明確に分かれているわけではないのですが、メンターの得意領域の関係でアサインには偏りがでます。その結果TMT関連の仕事を任されることが多かったということです。

入社当初から日本を代表する超大企業を複数担当させてもらいました。新卒で入って、研修後すぐに「お前のお客さんは○○だ!」と言われて、「あの誰もが知る○○ですか!」と思い、非常に誇らしいというか日本の大企業をサポートできるんだという気分になったことを覚えています。

投資銀行での毎日は非常に忙しかったです。

1人で10社とか11社くらい担当して、本当に2日に1回くらいは約50ページのピッチ資料を作っていました。

10個のボールでお手玉をして、1つでも落としたら死にますよって言われている感覚でした。しかも1日20時間くらい働いていたので、本当に一日中そのお手玉をしている感覚でしたね。

入社直後で特に印象に残っているのは、IRロードショーのコーディネートの仕事ですね。日本の大企業の役員クラスの海外渡航をサポートしていました。

何かミスがあったら自分の責任になるという中で非常にプレッシャーを強く感じていました。

例えば、役員の方のミーティングが終わるまでに、そのビルの前にタクシーやハイヤーが来なくてはいけなくて、担当の運転手が寝ていないか、さぼってはいないかと、海外にいる運転手に連絡して確認していました(笑)

その他にも加湿器が欲しいとお客さんに言われたら海外の宿泊するホテルに「加湿器セットしてもらえますか?」と確認したり、ジムにトレッドミルが欲しいとお客さんに言われたら「トレッドミルありますか?」とホテルに確認してから予約したりと、世間のイメージとはかけ離れた泥臭い仕事をやっていました。

しかし本当に自分が最後まで責任を持ってやるということを学ぶ意味では、ロードショーのアレンジのような泥臭いことも馬鹿にできない仕事でした。

どうしても投資銀行というと、きらびやかでかっこいい世界を思い浮かべるかもしれませんが、クライアントがいて、そしてそのクライアント先の役員や部長などの人間がいる仕事なので、クライアントやクライアント先の方に対して、どうやったら満足していただけるか、安心して仕事を任せていただけるかを考えるという、サービス業に近い面も多くあります。

そういう意味では、お客様が安心してロードショーを行えるようにハイヤーを手配したり、加湿器を手配することも立派な仕事の1つです。

特に、初めてロードショーのアレンジをしたときは、私は最初から辞める直前の人が上についていたので、自分がミスったらもう終わりだという気分で仕事を一生懸命していました。

入社3~4か月で徐々に金融に関わる仕事も同時並行で始まり、その中には外債の発行の仕事がありました。日系の証券会社が10人程度のチームを組んでいる仕事を、こちらは4人でやっていたので負荷が大きかったです。

若手である私が連絡のハブになって仕事をリードしていきました。

後はIPOにも興味があったので、なるべくIPO案件も任せてもらうようお願いして仕事をもらっていました。

案件に関わっていると、自分が数字や文字を間違えた瞬間に、この案件が遅延したり、最悪の場合は中止になったりするかもという緊張感がありました。

最初は上司が厳しくて、詰められるのが怖いから頑張るという感じでしたが、数ヵ月してくると、上司すらミスしているのではないかという目で成果物を精査するようになりました。

実際に、上司が指示通りにやっていてもお客さんの期待と違った、ということもあります。

上司の意見を素直に聞くことも大切なのですが、それ以上に会社としてやるべきことがきちんとできているかは、自分自身で責任を持って担保しなければならないと意識していました。

-外資系だと、アナリストでも日系証券のアソシエイトがやるような仕事内容だったのでしょうか。

日系証券で働いたことがないのでわかりませんが、チームの人数の差があるのと、対面でやりとりをする人は自分より年次が3,4年は上の人だったと思います。

私と同じ年次だと、まだお客様の前には出てきていない印象でした。あくまで私の周りのケースなので一般的にはどうかは分かりません。

お客様とのミーティングでは、成果物も自分で作って、お客様のもとへ行ってプレゼンをしていました。プレゼンの中で良くない点があると、後で上司に怒られていました。

厳しい環境だったからこそ自分のコンフォートゾーンを抜け出すという意味で、非常にいい経験でした。

ただその分、辛かったです(笑)

GSだとビッグブラザーシスター制度というメンター制度があるのですが、私のビッグブラザーはDay1から厳しかったんですよね。

入社して、その日は、全社研修があって顔合わせくらいだったのですが、ビッグブラザーに、「なにぶん社会人経験がないもので、これからご迷惑をおかけすると思いますがお願いします」と言ったら、「ご迷惑をおかけする?俺に迷惑かけるんじゃねえ」って真顔で言われました(笑)

やばい会社に入ったのかな、すぐに転職しようかなと思って、普通に入社1週目にはビズリーチに登録しましたよ(笑)

入社して2か月目からは想像するような外銀生活になっていました。

6月の第1週は月曜日に出社して土曜の朝まで一回も家に帰らない生活でした。ずっとオフィスいる生活で、朝の5時くらいまで仕事して、オフィスで少し突っ伏して1時間ほど寝るような生活でした。

起きて仕事して、シャツなどはそこら辺の店で買って着替えて、仕事して、また寝て、お風呂は入っている時間がないので、ジムでシャワーを浴びていました。

6月の第2週も徹夜続きで始まったのですが、たまたま水曜日に深夜2時に帰宅できて、6時間くらいは寝られると油断していたら、目が覚めると朝の11時でした。

怖いビッグブラザーに認められるために頑張ったのに、「絶対遅刻だけはするな」と言っていたビッグブラザーの前で私は大遅刻をしてしまったからこの会社にはいられないと思いました。

ひとまず身支度を素早く済ませ会社に行き、ビッグブラザーに「今日は遅刻して本当にすみませんでした。もう辞表書きます。」と謝ったら、いつもは厳しいビッグブラザーが、「峰島さ、お前頑張ってるじゃん。頑張ってるならそういうこともあるよ」という謎の優しさで接してきたので、逆にそれが申し訳なくてオフィスで号泣してしまいました。

数時間して気づいたら、その日はたまたま私の誕生日だったんですよ。辛すぎて全然気づいてなかったけど。

ビッグブラザーが遅刻したことを面白がって、誕生日プレゼントに爆音の目覚まし時計をプレゼントされました。そのおかげかは分かりませんがそれ以来、一度も寝坊はしませんでした。

NY研修に行くときも、仕事が全然終わらない状況で丸投げして逃げるように飛行機に乗ってからは、一秒たりとも起きず、椅子に座った瞬間から着陸してキャビンアテンダントに起こされるまでずっと寝ていました。

-慣れてくると帰宅時間は早くなったのでしょうか。

全然ならないですよ。深夜4時まで働くという行為に慣れてきただけです。日付変わる前に帰れたことは2年間で1度たりともなかったです。

1回だけ夜中の1時に帰ったことがあったのですが、六本木が明るくてびっくりしました。偶然、けやき坂のイルミネーションもあって、私も社会の一員なんだな、みたいなことをかみしめながら家まで帰った記憶がありますね。

六本木から徒歩5分のところに住んでいたので、基本的に毎日、会社と家の往復だけでした。

仕事を受けたら期待以上の成果を出し続けた

-GSはどういう会社として、印象に残っていますか。

色々ありますが、GSは成果にこだわる文化であったことです。どんなに偉い人でも、ミスをしたら去れというような雰囲気なので、どんな立場の人も仕事に全力でした。

GSにいた頃は、私はそうした仕事への姿勢が当たり前だと思っていましたが、外の世界を見て、世の中の基準とGSの当たり前の基準が違うことに気づきました。

よくGSでは「個人商店」という言葉が使われます。それぞれの社員が個人の評価や評判を高めて、より難しいプロジェクトを名指しで任せてもらえるように頑張っているという意味です。

峰島という個人商店をいかに同僚に愛用してもらうかが重要な点なんですよね。1回舞い込んだチャンスに対してしっかり相手が期待する成果を打ち返すことが出来たら、信頼してもらい次の仕事も任せてもらえます。

逆に成果が出せないと、どんどん仕事がなくなっていきます。

そのため、常に仕事を受けたら相手の期待を超える形で打ち返すということをしていました。

GSにはレビューが半期に1回あります。評価してほしい人を自分で10人選んで評価をもらうという360°評価の形式なのですが、その評価点は昇進の判断において大きいウエイトを占めます。

私がお世話になっていた先輩には、半期が始まる前に、誰に評価してもらうかを決めておけというアドバイスをもらっていました。

半期が終わったらあなたたちにレビューを頼もうと思っているという旨を伝えつつ、よかったら2週間に1回ずつ自分へのフィードバックをするセッションを設けさせてほしいとお願いしました。

迷惑がられたり、忙しいと言われても、たとえ10分、20分でも、隔週で時間をもらうようにしました。

なるべくネガティブなフィードバックはこの場で吸い上げてレビュー前に解決し、半期が終わった後にはポジティブなフィードバックを書いてもらえるように尽力していました。

こうした処世術を含め、自分の評価を上げていくための努力をそこまでやっている社会人はあまりいないんじゃないかと思います。

自分が想像しうる限りベストプラクティスを追求するべきだというような考えを身につられけたのは本当に良かったなと思います。同期を見ていても、本当にみんな想像しうる限りベストを尽くしてきます。

基本的に同期の中で1番くらいじゃないと意味がないって感覚がすごく強いので、同期は本当にいい友人であり、戦友でありライバルみたいな感覚でした。

-ミスを1つでもしたらいけないというのはどういったところからそうした空気感になっていたのでしょうか。

GSでは全社ミーティングが定期的に開催されるのですが、グローバルにおける東京支社のパフォーマンスや今期獲得できた案件、逃してしまった案件の話が詳らかに共有され、若手でも収益への意識を持たざるを得ませんでした。

例えば、あの案件による収益っていくらくらいらしいとか、だいたい案件の金額はこれくらいで、うちのフィーはこれくらいで、みたいな話が若手の間でも普通にされていました。

本当にみんなビジネスとしていかに稼ぐかという意識がとても強く、だからこそ他社対比でも絶対に負けないクオリティで仕事を遂行しようという姿勢があったのだと思います。私はそうした雰囲気が好きでしたね。

IBDの仕事は基本的に案件を完了させないとフィーが入ってこないので、そうした点はコンサルと違うと思います。

いかに案件を完了させて、いかにお客さんに満足してもらうかが重要な点です。他社に勝つために常にベストクオリティでやるしかないという気持ちでやっていました。

GSはフィーも他社対比で高いので、値段に見合う金額を出さないとだめだよねっていうことでとても頑張っていましたね。

-ありがとうございます。次回はGS以降の転職の話を聞かせてください。

編集後記

いかがだっただろうか。今回は、誰もが知るエリート集団であるGSの内情について語っていただいた。

一つのミスも許されない厳しい環境が、GSが他社を寄せ付けない圧倒的な成果を出し続ける要因なのかと感じ、さすがGSと感服せざるを得ない。

次回は、峰島氏がスタートアップに転職された理由から、ベンチャー企業での業務内容まで、ベンチャーで働くことの実情を聞いていく。